一挺ン億円の木片の塊名器

さて、本日は教育テレビで世界一の名器と謳われるストラディヴァリウスの番組をやっていた。
今から凡そ300年前、イタリアのクレモナにて工房を構えていたアントニオ・ストラディヴァリ。師匠からヴァイオリン作りの知識を貪欲に吸収した彼は、いつしか師までも超えるようになり、名器と呼ばれるストラディヴァリウスを作り上げたのである。
彼は生涯、その工程の一切を弟子に明かさず、現代においても美しいその音色の謎は解明されていないのだという。そして、現存するストラディヴァリウスは約600挺程だという。
生憎とアタクシはヴァイオリン弾きではないが、小さい頃よりその美しいフォルムと音色に魅せられてきた一人なので(ならなんでヴァイオリンをやらなかったのかというツッコミは却下!)やはりそのエピソードには興味がある。
聴くところによると、以前なんかのテレビ番組にて、聴衆に演奏している姿を見えないようにしておき、どれが本物のストラディヴァリウスであるかを当てる実験があったらしく(この番組内でも同様の実験が行なわれていた)、その結果、大多数の人が、しかも音楽評論家や専門家までがなんと偽物を本物と間違えたのだという。
つまるところ、聴く方にとってはある程度の質を持った楽器であれば同じに聴こえるというのである。
では何故、ここまで名器として誉れ高いのか?それは(演奏者ではないので明確な事はいえないが)希少価値が高いというのもあるが、奏者の感性を完全に表現できる楽器であるからではないだろうか?
これは番組中でも言われていることだが、どんなに才能のある音楽家でも、自分の理想としている音を出せなければ意味が無い。それを(個人の差もあるが)最大限に引き出してくれるものが、ストラディヴァリウスなのではないだろうか?
無論、「名器だから」と盲目に崇拝している部分も少なからずあるのかもしれないが、しかし、それ以上のものを持っていることも確かである。
近い将来、もしかしたらこの名器の謎がすべて解けるかもしれない。しかし、幾ら音色が似ていても、それが辿ってきた様々なエピソード、そして作り手の情熱までは真似できない。それをすべて総括した意味での「名器」ということなのであろう。